私のまわりにいた人で話が楽しくて面白く人が集まってくる人、強いリーダーシップでまわりをまとめる人、なんでもこなせて表現力の高い人
そして、誰もが認めるほど、運がいい人がいました
もともと、わたしは自分に対して少し劣等感があり、人と比べては落ち込んだり、やる気がなくなって無気力になったり、やけになって無駄な事に時間を費やしたりと
どちらかというとネガティブ思考の人間でした
だからこそ、努力してがんばらないと前に進めないと信じていました
小中高の学校教育や塾などでの成績席順、
テレビのドラマや漫画などでの努力、根性で何かを成し遂げるために「がんばる」
そういう価値観から感情のゆさぶりをうけ
そう思い込んでいました
松田さんの動画や教材に出会うまで競争して勝たなきゃダメだって
思っていたのです
自営業をはじめる
わたしは今まで就職したことはなくアルバイトで生計を立てていました
土方、ライブハウス、フレンチレストラン、パチンコ屋、焼肉屋、おしぼり配達、チラシ投かん業、クリーニング業etc…
このころは、ミュージシャンになりたくて
そのためなら仕事はなんでもよかった
ほしいギターや機材が買えて、最低限食べていければなんでもよかった、そんな気持ちでやっていました
要は音楽やってればよかったのです
いつか音楽だけで食べていけたらなぁ、なんて妄想の中生活していました
今そのころの心の中を覗いてみると、やりたいことの為にがんばっている、そんな自分に酔っている
やりたいことをやっている自分は幸せ者だって
そう思い込んでやっていただけでした
そのころのわたしの他人を見る目は
やりたくない仕事をずっとやっていく、イヤな事をがまんして満員電車や渋滞の中通勤して、平静を装いながらも少しイライラしながら電車の中に押し込まれてたり
車の中では渋滞の中いかに早く前に進むかを考えていて、まわりの車と競争していたり、強引な車やマナーを無視したドライバーに
ムカついていたり
まわりと同じような考えで生きて、同じような人生を歩むことがそんなに大事で大切で幸せに思えるのかなぁ、って思っていました
自分はこんな人たちとは違うってそう思って生きていました
今振り返ってみて自分なりに分析していると
そのころのわたしは、一般的な幸せを求めている人たちと比べて自分は違う生き方をしているというその部分に幸せを感じて生きている
たったそれだけの人であったと、そういう事がわかります
そして、そのころのわたしも薄々そのことに気が付いているのですが、それを押し殺してがんばっていたのです
さらに詳しく書くと
がんばっているのは一般的な幸せを求めて生きている人たちと
自分は違う生き方をしているという点だけで、
音楽で生きていく人生に全力で精神を捧げている
そんな人と同じような努力など出来てなくてただ、自分のやりたいことをやって生きている風なそんな生き方をダラダラしていた、
そんな20代でした
30代になるとアルバイト生活にも限界が感じられ
なおかつまわりの30代を意識しだしました
というより、まわりの人たちが幸せそうに見え
なにか焦りを感じていました
その当時、やっていた仕事はハウスクリーニング業で
現場でたまたま知り合った職人さんと話が合い
その人とよく合うようになりました
その人は自営業で一軒家を借り
その一軒家で古着屋をやるという夢に向かって進んでいるという感じに生きていて、幸せそうに見えました
スピリチュアルが好きな人で、江原啓之の事をよく話していました
泊まりで遊びに行ったりしたときに
その人がやっている一軒家の現場を見せてもらいました
その人の家から徒歩30秒くらいのところで平屋の古民家で、柳の木や桜がある庭付きの一軒家でした
ちょうど桜の花が咲いていて庭がピンクに染まっていました
こんな家に住めたらいいなっておもいながら話していたら、この家は今は借り手がいないから「頼めば借りられるかもよ」って言われたので
その時の自分の中に直感というか
流れに任せなさいっていう感覚というか
「ここに住め!」
ってGOサインのスイッチが押されて
この家に吸い込まれるように住むことが決まってしまいました
事が動き始めると気持ちがだんだんとその家での生活の視点で物事を考えるようになっていって、不動産屋と契約して半年後に引っ越ししたのですが
その間にその当時していた仕事をやめる事にして独立する事を考えていました
この平屋の一軒家を紹介してくれた職人さんが自営業だったことも影響してると思います
この時のわたしは、もうアルバイトを探すという視点は無くなっていました
かといって今後の仕事の依頼が来るというそんな確証は全くなかったのですが...
その当時働いていた会社を辞める事を聞きつけた元同僚(一回り以上歳の離れた同じアルバイトですが)の方から連絡があり、
「仕事を手伝ってくれないか?」
っていう絶妙なタイミングで仕事の話がやってきました
こんな感じで、引っ越しをきっかけに自営業者になりました
わりとノリと勢いで独立できたのです
その当時の私が感じていたことは、自営業であることの誇らしさとかうれしさとか解放感というか自由というか、自信も沸いてきて何か知らないけど楽しくて幸せを感じていました
今思えばこういう感覚でいる事はとても大事で、人生を好転させるきっかけになったんだなぁって感じます
その当時の口癖は
「がんばったらダメだ!楽しまなきゃ!」
本当に直感をむき出しにして生きていたと思います
それからずっと今まで17年間続けられていますが、なんども辞めようと考えた時期がありました
それは仕事が辛くてしんどいとか嫌いとかそういうのではなくて
人間関係です
独立してから仕事の現場で出会う人から、次の仕事を依頼されたり依頼したりとしながら、そうやって今まで続けて来られたのですが、その間にトラブルもあり、たくさんの人とお別れもして来ました
仕事の報酬を払うのをイヤそうな態度でいる人や支払いが遅れてるのに平気そうで、さらに仕事もらってるのに我慢しろって強要してくる人、
それどころか、払わないで音信不通になる人、仕事を引き受けたにも関わらず来ない人、私の依頼主にこっそり交渉して仕事を奪っていく人、またはその逆で私の依頼主が私が連れてきた職人に賃金交渉して引き抜いたり・・・
もともとコミュ障気味のわたしは、人付き合いが得意な方ではありませんでした。
その上にいい加減な事を平気でしてくる人間が独立してから身近に増えていって、自営業で稼ごうと考えるとみんなこんな風になっていくのかなぁって、自由だし、決まり事は特にないし、儲かったらそれでいい、他人を蹴落として自分が稼げればそれでいいんだ、そんな奴らばっかりだって、疲れていました
それでも続けられたのは、自営業になって収入が上がって、そんなに毎日仕事しなくても生活ができていたからです。
もちろん自由に遊んで暮らせるような大金が稼げていたわけではないですし、仕事がない時と忙しい時がはっきりしていて、一年中まんべんなく仕事があるときなんてほぼ無かったからです。
ヨガのインストラクターに合格
仕事がない時は1か月に2,3日しかないときもあり
普段から家にいるのが一番落ち着く人間でしたので、
ほぼ引きこもり状態でネットを見て過ごしていました
その当時は料理とかパンとかチーズとかワインとか
それらの作り方のブログや動画がたくさんで出したころで、
キッチンでずっと観ていました
今すぐできる事ばかりではなかったのですが、道具をそろえて作ったらたのしいだろうなぁなんて想像してたり、
手の届きそうなものはキッチン道具や食材を探して作る
そんなことをしていました
もともと健康オタク的なところがあって、食べ物に関してもそうなのですが、体がしんどいとかだるいような状態がいやで、
たばこは20代でやめたし、お酒も酔うとしんどいので普段は飲まないし、
体にとって良いとされている事ばかり調べてはそれをやるというような毎日でした
そのころの調べものの中にストレッチの方法
体を柔らかくするストレッチの方法みたいなそういう記事がたくさんありました
子供の頃から体は固く憧れもあり、柔らかくなった体は今の体とどのように違ってどんな影響があるんだろうって興味がわいて
これかなって思う教材を買ってみる事にしました
わたしはこういう教材を買ったのが初めてでした
DVD4枚入りで2万円弱の情報商材です
興味半分疑い半分 ドキドキです
ストレッチの方法の動画でしたので教えられたとおりにやってみました
もちろん即効性があってすぐにぐにゃぐにゃになる
そんな魔法のようなテクニックなどではありませんでした
ですが、さいごの1枚には歩き方や腕の使い方
体を使うときの基本的な概念が収録されていて
そこが大切な学びになり、日常的な動作や仕事中での体の使い方のなかに、意識してとりいれていきました
そのほか、「体を柔らかくする=ヨガ」
みたいな先入観からヨガの本をたくさん読んで
仕事のない時期に毎日ヨガのポーズを体を使うときの基本をベースに取り組んでいました
すると、自分でもびっくりしたのですが
2か月弱でぐにゃぐにゃになったのです
前屈姿勢でひざと顔がぴったりとくっついたのです
真上にまでは上がりませんでしたが、Y字バランスもできるくらい脚が上がったのです
しかも、今まで伸ばしてなかった筋が伸びると本当に気持ちが良くて、特に前屈したときに後頭部の筋が初めて伸び切った
そんな感覚があったわけですが
なんともいえない解放感というか快感すら感じたのを覚えています
このとき
お金を払って情報を買うという事をしていたんだなって今になって気が付きました
ストレッチの本やヨガの本には書かれていなかった体を柔らかくする体の使い方
4枚あるうちの最後の1枚の数十分
この情報だけで体が柔らかくなった
この当時のわたしは自己投資という概念がなかったので
体が柔らかくなって楽しくてしょうがなく、本格的にヨガの実践をするようになるのですが、
今思えばこの時自己投資出来ていたんだって、自己投資して成功していたんだって思えます
とても大切な経験になったんだと今では感じられます
その後、さらにたくさんの本を買い
断食や呼吸法や瞑想、時間の限りヨガに没頭していたせいか
半年後には見た目が変わるほど姿勢がよくなり
筋力は断食のせいか少し衰えましたが体は軽く健康そのもので
仕事中も疲れないようになりました
体の健康とともに心も穏やかになって、前のようにイライラしたりすることが減っていました
穏やかになった気持ちと急に姿勢が良くなった姿は
周りの人に影響があったようで、少し付き合い方が変化したように感じます
お互いに優しくなったように思いました
この時に「自分の気持ちが鏡のように写っている」
そう感じたのを覚えています
独学で始めたヨガでしたので、ある程度のところで伸び悩み変化が乏しく
また、体の使い方を学んだDVDのように、知らなかったことに気が付くというような事がだんだんとなくなっていき
グングンと体と心が柔らかくなっていった
あの当時のモチベーションがなくなってきていました
自分一人では頭打ちの状態でした
そんなときにわたしの彼女がヨガの教室に通ってみようかと思っていると言って教室まで見つけていたので
お試しのつもりでわたしもついていくことにしました
正直、わたしは何とか教室やサロンやセミナーみたいな
たくさん人が集まって何かするところが苦手で
一人では決して行く事はなかったと思いますが
二人でなら体験教室だしいいかなという気持ちで踏み込んでみました
教室は約20名くらいの生徒さんと先生で
そのほとんどが女性でした
ほとんどの方がお子さんのいるお母さんやお孫さんがいるような女性の方たちでした
先生も70歳あたりのご高齢であるにもかかわらず
シャキッとして元気な印象を受けました
その時のわたしは30代後半でしたので、その中にいると自分が子供のように感じてしまい少し恥ずかしかったのを思い出します
腰痛持ちの方やストレートネック、肩こり首こり、体が硬いなど体を壊した方が多く、ハードなポーズをとるよりも、呼吸法や瞑想を中心にした教室でした
体を柔らかくすることから始めたわたしにとって、少し拍子抜けしたところはありましたが、
自分でやっていた瞑想よりも深く、そのまま寝落ちしてしまうなんて体験が初めてだったので
直接先生から教わる事でいきなりできる事もあるんだっていう気づきがありました
その当時はメンターなんていう言葉も知らなかったのですが、
今思えば、自分にできない事は出来ている人から教えてもらう事がとても重要で最大のショートカットなんだってことが分かります
その教室では、瞑想もそうなのですが、自分独りでは出来なかったポーズも先生の指導を受けながらすると簡単にできてしまう事もよくありました
メンターから学ぶという事の重要性はこの頃は気が付いていませんでしたが、
この時の体験は今の学びに活かされていると感じています
この通っていた教室では、インストラクターの試験を行っていて
先生のお誘いやインストラクターさんの勧めもあり、受ける事にしました
いつものノリで・・・
先生とインストラクター3人の前で実演するわけですが
人前で上がってしまう私にとっては、普段の成果はだせるはずもなく、不合格でした
追試でなんとかおまけで合格させてもらえたのですが、
不特定多数の人の前で何かをすることが苦手なわたしにとって
性格的に合いそうになく、インストラクターとして活動する事はありませんでした
ですが、この頃から自宅で仕事をして生きていけたら一番幸せだなぁって気持ちが強く出てきていたころでした
山伏修行に参加
ヨガの教室には2年弱くらい通いましたが、その教室のインストラクターで山伏と知り合いの方がいました
その方は滝行に行っていたり、腱引きの施術を学んだり、クリスタルボールを学んだりと活発に動いている方でした
そのどれもが山伏つながりでこのインストラクターさんからたくさんの人に出会う事になりました
山伏と聞いても、天狗みたいなカッコをした修行僧のようなイメージしかもっていませんでしたが、実際に会ってみると元気で活発な人たちが多く、また、変わった人たちがたくさんいました
祈禱師で滝行の主催者であったりとか、
腱引き師の人もそうですが、
オーラが見えて写真にとれる人がいて、
その人は日本に2人しか習得していない中国の元極学とかいうものの使い手であったりとか、
気を操って未来が見える人とか、
マタギや占い師、お坊さん、代議士さん、大手企業の元社長、旅館の若旦那、宮大工や石工、日本酒の杜氏、学者さんなどなど、
めったに逢う事のない人たちが大集合していました
はっきりいって、山伏の事は全く知らなかったのですが、何かの縁だし体験だけでもしてみようと、またいつものノリで秋の峰入りと言う山形県の出羽三山の行事に参加してみました
「羽黒山秋の峰入り」で調べると詳細がでてきますので、気になる方は調べてみてください
詳細は省きますが、この業では200人くらいの男子が峯中堂という広いお堂に寝泊まりし昼は月山を登りまた、ふだらくと呼ばれる秘境に入ったり山掛けしたり、河で身を清めたりして、入峰中に行う行事のために身を清めたりお参りをしたりします
夜は峯中堂に集まり、勤行つまり出羽三山神社に祈願された方に簡単に言うと祈りを捧げるという事を朝の3時くらいまでひたすら続けます
最後に八朔祭と呼ばれる護摩壇に大きな火柱を上げ勤行し修行を終えて、山を下り現世に戻るというものです(めちゃくちゃ簡単に説明しています)
この時は、初体験で知らない人が200人もいてとても緊張していたので何も考えず行を行っていましたが、
今振り返ってみると、この200人で祈願者に対して勤行つまり祈りを捧げることは、この祈願者の願い事への実現成就にとても効果があるように思います
多くの人が同じ願いを祈るのですからその願いは祈願者のもとへ引き寄せられると感じられるように今ではなりました
山伏体験はこの一回のみでその後は行ってはいません
この後、何度か滝行に行ったりはしましたがこの後はパン販売に向かっていきます
パン屋の挫折
自営業を始めた頃から本やブログや動画でパンやケーキを作り始めました
食パンはよく食べていたし甘いものも大好きな私は、できるだけ添加物のない物が食べたいと考えていたので、自分で作るしかないと思い、たくさん本を買い作って楽しんでいました
自分で作るのが楽しくてヨガの時みたいに夢中になってやっていたのを覚えています
特にパンは生き物のようで可愛く、うまくいったりいかなかったりしていろいろと試行錯誤して今でもずっと続けて焼いています
ヨガの教室に通っているころにはイベントに参加し始めていてパンの販売もしていました
初めてイベントでパンを販売したときはあっという間に完売してしまってびっくりしてしまいましたが、イベント関係者の協力がとても影響大きかったと思います
ですがこれがきっかけでパンを販売することを本気で考え始めていました
田舎で石窯作ってパンを販売して生きていきたいなぁ
みたいな妄想をしていました
自分の好みに合いそうなパン屋さんを見つけては買いに行き食べるようになり、仕事中もパンのことしか考えていませんでした
ほかには山伏の同期でパン屋さんがいて、その方にパン屋さんが行く展示会や問屋さんを紹介してもらったりと気持ちはパン屋でいっぱいでした
パンを作て生きていくことを疑わなかった私は無謀にも自分の仕事をやめてパンだけでやっていくのです
祭りや知り合いのイベントスペースで販売し、自宅やネットで販売してやっていこうと考えていました
考えてる時や始める前は寝る間も惜しんでパンを焼いて販売をしていましたが、いよいよ初めて見るとパン屋さんの労働の厳しさを感じ始めました
前の晩に仕込んだ発酵種を翌朝の1,2時くらいからこねはじめて、それからずっと休まず朝の9時くらいまで作業が続き、どれだけ頑張っても200個程度で、それをケースにつめて車で催事場に行き、パンを綺麗にならべて、11時くらいから販売する
そして17時になったら片づけて帰るという一日がこれからずっと続くのだろうかと考えたら、こんな修行僧みたいな毎日に耐えられるのだろうかとか、
そもそも作ったパンが全部売れる事の方がまれで、はっきり言って今までやっていた仕事よりも稼げなくなっていました
そんな今後の不安が頭の中でグルグルして、パンの事よりも減っていく資金の事ばかり気になっていました
あれだけパンに夢中になっていたのにそのころの頭のなかはどうやってやっていくか、いかに稼ぐかにフォーカスしてて、パンで稼ぐよりも他で稼ぐことを考え始めてしまいました
その時のわたしは、ネットで簡単に稼ぐ方法を紹介しているサイトや動画をむさぼり探すようになっていました
競馬で稼ぐソフト、サッカーで稼ぐ方法、仮想通貨のポンジスキーム、高額セミナー、毎日スマホを3回タップで1万円稼げるみたいな今では絶対に見ないようなサイトばかり見ていました
その中で仮想通貨のねずみ講のようなポンジスキームには完全に引っかかってしまって100万円くらいはゴミになりました
そのほか、ネットワークビジネスに参加したりもしていました
はっきり言ってたくさんの人と繋がっていくなんて絶対にできない自分なのに何をやっていたんだろうって今思い返しています
本当に不安で頭のなかがかなりやられてしまっていました
不安にさいなまれている人間はこうも簡単に引っかかってしまうんだなという事を身をもって体験した時期でした
そんな状況のなか、松田さんの動画を見つけたのです
もう疑い深くなって何も信じられなくなっていたのに、松田さんのホームページの文章は何か惹かれるものがありました
プロフィールからすごく正直な感じがしたのです
動画も嘘が感じられないし他の配信者と違って売り込んでないというか、
「波長が合う人は聞いてください」
というような感じでとても気になりました
松田さんの教材が気になって欲しくなった私は
資金が底をつきかけていたパン屋を止め、また稼ぐために前の仕事に戻り、松田さんの教材を少しずつ買い始めました
メンターによって開運する
1年ももたなかったパン販売をやめ、元やっていた仕事に出戻りしましたが、パン屋をやっていた時の不安から解放され気持ちが落ち着いていくのを感じました
それと同時に、今まで付き合っていた方々と距離を置き、一切会わないようにしました
仲良くしてくださった方やお世話になった方々も含め、一切遮断していきました
これをすることでまた気持ちが軽くなるのを感じました
自分にとって一番楽で合っている状態が今なのかなって分かってきました
多くの人と楽しくやっているつもりでも、気疲れをしていて、それが自分でも気づかないうちにどんどん積み重なっていて、さらに自分にプレッシャーもかけていたように思います
ホントは独りで静かにしていたいのが自分なのですが、パン屋をやるために頑張って人付き合いをしていました
コミュ障で目を合わすのも苦手なのに・・・
自分の自信を失うきっかけを自分で作ってしまっていたことに気づいていきました
松田さんの教材を学んでいってそういう自分を再確認する事をしていたんです
本来の自分に戻るための教えだと思います
少々不愛想であったり、変に思われたり、嫌われたりしてもわたしである事が大事で、他の何者かになる必要はないんだっていう事を学び、心が軽く、自由です
それと、もう一つ大事なことに気が付きました
それは、わたしはとても運が良かったという事です
今住んでいる家と出会えたのも選ばれたように感じます
その後、この家に引っ越すことに伴い自営業をはじめるのですが、一度パン屋ではなれましたが、その後も今まで良い仕事に恵まれています
むしろパン屋を止めて松田さんの教材を学んでからの方が収入が上がっていますので、間違いないと思います
パン屋にしてもそうで、祭りに参加させてくださった方に出会えたのも貸しスペースのお話を頂けたのも、何かしらの引き寄せる力があったとしか思えません
実際はパンを販売して生計を立てる事まではできませんでしたが、好きなパンを販売する事が出来たのも本当に幸運でした
なによりもパン屋の挫折により松田さんという偉大なメンター出会えたのが幸運です
松田さんの開運波動を浴び続け、ますます運気が高まっていくのが目に浮かびます
この出会いを大切にし、独りひっそりビジネスで今後は生きていけるように学び続けます
長いプロフィールに付き合って下さり
本当にありがとうございました
あなたにも開運の波動が届きますように、願っております