ひまわりさんの集合的無意識に所属することは、
宇宙の意識で生きるということです。
宇宙の意識が自分の本来の意識で、思考だという事に気が付き始めると、
目の前の世界は自分の思い込みという事に気が付き始めます。
自分って集合的無意識?
普段何気なく考えたり行動したり何か体を使ってすることは自分の意志でやっているという認識だと思います。
「自分の身体なんだから自分の意志で動かしてるに決まってるでしょ!」
そう思うのが一般的ですし、ほとんどの人はそのようにして日々を過ごしています。
このあたりまえに感じるまたは感じてしまっていることは、多くの人が無意識に同調して統一された思考の下、定着しています
そしてこのことを常識と言ったり概念と言ったりしているわけです。
ですからこの概念や常識からずれたり外れたりしていることに直面した時、
違和感を感じたり嫌悪感を感じたりして拒絶反応を表したりします
こういう反応は無意識に起こっていて自らの意志でやろうとしてやっている人はあまりいません
そしてこの無意識は膨大な数の集合体として私たちの意識に宿っています
これを集合的無意識と呼ばれています
詳しいことは「ユング 集合的無意識」などで検索すると解説がでてきます。気になる人は調べてみると面白いと思います
私たちは無意識にもしくは環境によって習慣化された思考や行動によって自分という個性を表しているのですが、これらは自分の意志とよべるのか疑問を感じてしまいます
あなたの決定や決断、選択や迷いですら無意識によってきめられています
このように言われるとなんだか変だなと感じるのが一般的ではないでしょうか?
ですがここで冷静になって考えてみてください
今朝起きて、「ああ~、もう7時か!急がないと遅刻だ!」と朝からバタバタ
電車に駆け込んでギュウギュウに詰められて通勤
職場でいやな上司と毎日のように顔を合わせなければならない
仕事の進行が遅れていて周りに人はイライラ
こんな状況の中で心地よくしていられるでしょうか?
私たちは自分の意志で時間に縛られていきていこうとしているのでしょうか?
私たちは自分の意志で狭い空間に多くの人が詰め込まれて居心地の悪い状態で、
しかもその周りの人たちも同じように居心地の悪い状態のその電車に乗ろうとしているのでしょうか?
私たちは自分の意志でいやな上司、会いたくない職場の先輩や取引先の担当者のところに行こうとしているのでしょうか?
私たちは自分の意志で進行が遅れている仕事の現場をわざわざ選んでいるのでしょうか?
そしてその場の人たちと一緒になってイライラしようとしているのでしょうか?
たぶん、ほとんどの人が嫌な気持ちで、少しうんざりしながら朝目覚めて電車に乗って会社で挨拶して今担当している仕事に従事しているのではないでしょうか?
これらのことを望んでやっているのがあなたの意志だと思えますか?
素直に自分の心を覗けば、どちらかというと嫌な気持ちでいっぱいで、早く辞めてしまいたいとか、
電車の中で気分が悪くなっているとか、上司ムカつくとか、仕事行きたくないとか、そんなことを心の中で言っていることがあると思います。
これは無意識の一つの場面を取り出して書きましたがほかにも近所の人間関係だったりとか
友達との関係だったりとか親との関係、兄弟との関係でもどこか引っかかることがあるかもしれません。
私たちは、自分の意志で居心地の悪い状態を選ぶのでしょうか?
私たちは、自分の意志で嫌いな人に会いたいと思うでしょうか?
私たちは、自分の意志でしたくないことをしてしまっているのでしょうか?
そうではありません。
これは集合的無意識によって行動や考えは決定されていて、その行動や考えが自分の意志であり自分の個性だと思ってしまっているからです。
自分って何なの?
私たちは、自分の身体のことを自分だと当然のように感じています。
見たり、聞いたり、話したり、食べたり、触ったり、暑かったり、寒かったり、気持ちよかったり、しんどかったり、疲れたり...
動かしているこの身体になんの疑いもなく信じていることは、
『私はこの身体です』
だと思います。
よく産まれる瞬間に魂を宿すと言われていますが、この表現からみると魂が自分で身体は器とか乗り物のようなそんな感じ、ニュアンスがあるようにおもいませんか?
そして身体を動かすのは魂で身体自体は魂が操縦しているロボットのようなそんなニュアンスが含まれているようにおもいませんか?
もっと頭を柔軟にすると、魂である自分は赤子のころからこの身体を使って、魂である自分のことを表現しているように、もしくは言葉のように伝えようとしているように感じられないでしょうか?
身体は今の自分の状態を包み隠さず表しているだけの
「自分の作品」
のようなものではないのではないでしょうか?
自分の普段使っている言葉のように、使う言葉が話す人の中身を表しているように、
身に着けているものや使っているものがその人となりを語っているように、
または作った物やしている仕事や行動がすべてその人の内容を隠さず表していて、それはあなたの身体もおなじで、
あなたの人生をかけて作り上げているあなたを表現する作品で、あなたを語っている言葉ともいえるのではないでしょうか?
すると自分とか私とか感じているものは身体に宿っている魂で精神とかスピリットとかと呼ばれているものと言えそうです
とすると意識しているのは魂である自分でその魂の状態、いわゆる自分の状態を身体を通して世界に公表しているということになります。
こうなると私たちは自分のことを隠すことなくさらけ出してお互いの意思まで丸見えで
心や気持ちがわからないなんてことが起こらないはずのように思えますが実際にはそうなっていません
どりらかと言うと、心や気持ちを隠していて、お互いにけん制しあっているようにも見える場合の方が圧倒的に多いように思えます
ひまわりさんの意識に所属する事は宇宙の真理に生きる事
あなたの信念はあなたの意志に関係なく、大衆の多くが意識として定着している信念からきています
その信念は、あなたにがんばって、たくさん働いて、競争して、そのままでいるように目覚めないままの大衆でいるように促します
不満や不安を抱え、愚痴や文句を言いあうような
そんな状況や環境をこれからも続けるようにプログラムされているのです
ひまわりさんの意識はそのような大衆の多くが意識してしまうプログラムとまったく正反対のプログラムです
あなたはがんばらなくてもいいのです
あなたはたくさん働かなくても稼げるようになるのです
あなたは競争して、勝ったり負けたりしなくていいんです
ただ宇宙の法則で物事をみつめて真理に目覚めるだけでいいんです
宇宙の意識とつながる
それは本来のあなたの意識とつながるということです
アルファソートはあなたをその本来の場所に引き戻し
あなたの脳が宇宙の意識に同調すると、大きな気付きとともに目の前の世界が変わります
学んだ人だけが理解しあえる感覚があります
学んだ人だけに響く言葉があります
学んだ人だけしか見えない世界があります
そして学び続けることが出来る人だけが精神の世界
無限の宇宙の精神とリンクすることが出来ます
ここまで読んでくださったあなたならもう気づいているのではないでしょうか?
この世界の在り方に違和感を感じたりしたことはないでしょうか?
幸せになろうとほとんどの人が努力しているにもかかわらず、なれずに悩んだり苦しんだししているのはなぜなのかと考えたりしたことはないでしょうか?
理由はとてもシンプルなのです
宇宙の法則から足を踏み外して、私たちが当たり前だと感じている人間の法則で生きてしまっているからです
人間の法則はあなたから宇宙の法則を遮断して、あなたの身体を自分だと感じさせます
その小さな存在の体は、「自分とは何てちっぽけなそんざいなのだろう」と
広大な宇宙を前にして感じてしまっています
あなたの心はその小さな体のサイズに縮小して閉じ込められてしまっているのです
ひまわりさんのアファメーションはその閉じ込められたあなたの心を
宇宙の意識へと連れて行ってくれます
そしてあなたは宇宙の法則から離れたことは一度もなかったことに気付かせてくれるでしょう
あなたに必要なものは、
あなたの意識は宇宙であり
あなたの思考は無限であり
あなたは今でも変わらずそのままなのです
そのことを思い出すだけです
アルファソートを学んだあと
あなたは本当は自分が何であったかを思い出し
静かな穏やかな幸せを実感していくようになるでしょう
わたしが学んだひまわりさんのアファメーションを学びたい方はこちらから
⇒お金・経済的自由 資本主義・マネーゲームからの解脱のアファメーション
⇒自分軸 他人の言動、邪気に影響されない力のアファメーション